私はこの計画を約半年間温め続けていた。行きたくて仕方なかったはずなのだが、 青春18きっぷを用いて一人旅をするのは初めてなこともあって、最終的な決心がどうしてもつかず、 きっぷの有効期限の迫る8月下旬まで出発の決断を遅らせていた。 きっぷを買ってからも、買うんじゃなかったとか、やはり転売しようかと考えたほどだった。 旅の途中でも、来てよかったとか、もうこんな馬鹿馬鹿しいことはやめようかと、 気持ちが二転三転して、自分の心境に自身が振り回されて疲れを感じたこともあった。 帰りなんかは自分にとって腹立たしい間違いを犯してしまい、その列車の中で二度と行くか、と誓ったりもした・・・。 しかし帰途に着き、布団を敷き横になると、また地図と時刻表のページを繰っている自分がいた。 日常生活に戻っても、ときどきぼうっとして、あの光景がよみがえっている。 どうやらじわりじわりと効果が現れているようだ。 やはり行ってよかったと思う。そしてこれから次回のための計画をゆっくり立てていくことだろう。
さすがは初めてのことだけはあって、今回の旅行は失敗した部分もたくさんあった。その反省はのちほど紹介したい。 さて、はやく今回の旅行記を写真を交えて紹介してしまおう。 おおよそのルートは琵琶湖線を北上し、北陸本線を北上し、親不知で下車、直江津で投宿、 翌日は名立や鯨波に足を運び、新潟駅でムーンライトえちごで新宿まで、あとは東海道本線を 下るというもので、8/31出発、2泊3日の行程になる。 この旅は車窓だけの旅行ではなく、いくつかの目的地を定めて下車し、歩く旅でもあった。
ムーンライトえちごの指定券を購入したが、帰って座席番号を見ると 車両の一番前の座席になっている。足が伸ばせないことや、 座席からモーターが近いことを思い出し、後日座席変更をしてもらおうと思ったが、 結局出発前にはできず、旅先で降りた駅でしてもらおうと思うも、 のばしのばしになり、最終的には座席変更はしなかった。
青春18きっぷ。今回使用したのは2回目から4回目の部分。
新潟から新宿までのムーンライトえちごの指定券。平日の9月1日なので310円。
予定通りの時間に起床して、再びネットで天気予報をチェックした。
ちょうど自分が行くとこ行くとこ晴れ、となっている。
出発駅の有人改札はまだ閉じられていて、車内で入鋏してもらうことになった。
駅の改札ではんこを押してもらえる、と思い込んでいたため、
このできごとに早くも不安をおぼえる。
夜明け前の駅。ここから旅を始めた。
米原駅の新幹線改札口。向かいの弁当屋も開店したばかりだった。
富山行きの白地に青い線の入った417系の三両編成の急行型列車に乗り込むと、 だいたい1コンパートメントにつき1人か2人という割合で座席が埋められた。 登山者や旅行者もいた。
出発前の車窓から
列車は出発し雲に覆われた湖北地域の寂しい駅に停車していく。
人はほとんど乗ってこなかった。
いよいよ近江塩津に到着した。長いホームとあじかまの宿と呼ばれる駅舎を持つ
特徴的な駅で、昨夏も訪れた思い入れの深い駅だ。この駅を過ぎるといよいよ福井県に入る。
滋賀から見れば、福井県は北陸地域の玄関であり、その名を聞くと、
あの独特の北陸の町の始まりを想わせる。滋賀から福井に行くと、
同じ距離で違う地域に行くより、遠くのまったく違う町に行った気になれるのだ。
新疋田から北上するにつれてますます人が乗ってきた。北上し時間が経つにつれて
通勤通学列車に変容していくためだ。私の見える範囲にあるコンパートメントはどこも
完全に埋められ、ほかの座席も空いていないようだった。
武生駅、鯖江駅と停車するたびにホームの様子を窓から眺めると、
北陸に来たという思いが強くなった。白塗りの木造の駅舎やその屋根からつるされている、
さまざまな色を用いた明かりのともる広告看板が、北陸の駅の特徴を出しているからだろう。
こうして重い雲の深く垂れ込めた北陸本線を福井へ向かう。
この雲は、私の一人旅の始まりにあってふさわしい気がした。
福井駅に近づくにつれて車窓から中心部の様子が見えてきた。
感じの古い直方体のビルがほぼ同じ高さで立ち並んでいるのは福井市中心部の特徴だろう。
かつて私が地元を離れ初めて訪れた遠くの地が福井であり、
その後何度も訪れたこともあったが、最後に訪れてから4年近くたっていたため、
懐かしい思いで町の様子を眺めていた。
しかしかなりビル群の古そうな外観には驚いてしまった。
高架化されたことを思い出しつつ、福井駅に到着した。
窓から外を見ると、ステーションビルの取り壊された残骸とフェニックス通りが見えた。
ステーションビルはいい感じが出ていて、好感を持っていたが、
結局再訪することができなかった。遠いこの地に来て、母子でそこの飲食店に入った夜の、
遠い日のことをおぼろげに覚えている。
記憶にはこういう印象的な一シーンだけが鮮明に残っていることがあるものだ。
福井駅を出ると、いかにも前線を通過したといった感じで、 通過したのちは天気ががらりと変わった。 こんなふうに天気の変わりを味わえるのも鈍行旅行ならではだろう。 車内は空いて、外は太陽の光に包まれたのどかな風景に生まれ変わった。 米原から1時間37分。そのため、列車はある区間によってその列車の役割が変わるというより、 時間の上に走っているがためにその時間的な変化を受けるという考えを強くした。 途中トイレに行ったところ、割と広い洗面台があった。ここで女性は化粧するのかもしれない。 座席に戻ってからは、持って来た地図を再び見ながら車窓を見て楽しんだ。 窓からは並走する国道8号線が見える。盛夏は過ぎたといえども、日差しはきついはずだが、 車内は冷房がよくきき、親しみさえ覚えた。 列車は石動、小松、美川とどんどん東進し、天気が変わり、遠いところへ私を運んでゆく。 16分間停車する金沢駅に着いた。なぜか都市に着くと遠いところへ来た気持ちが少し薄れる。 それは都市と都市を直接つなぐ交通が発達していることが潜在的に影響していると思う。 金沢駅では、いったんホームへ降りて見学した。
乗ってきた列車。向かいにはサンダーバードが停車していた。
列車の最後尾。左の窓からは金沢駅裏口が見えた。ホームにはもちろんキオスクもあります。
金沢駅は高級感を感じさせるつくりになっている。改札からは出なかった。
ホームへ戻ったらサンダーバードがいなかったので、ホームの様子を。
金沢を出て、すこし右に傾きながら倶利伽羅峠駅に到着、
左側に座っていたため、駅舎の様子がわからない。
気になる駅だったので、次回降り立ってみたいとも思った。
しかし地図を見ると、駅から史跡倶利伽羅峠までは歩いていくには少し遠い。
しばらくするといつ間にか乗ってきた、
同じ車両の先頭部分のロングシートの前にあるつり革にぶら下がりながら
大きな声で「先輩」と話をする若者のがいて、しゃべり声が耳障りになってきた。
つり革にぶら下がって体をくねらせている・・・。
また停車のたびに先輩と一緒に座れるコンパートメントを探すべく車両の3両を行き来するので
私は落ち着くことができない。今度は音楽をかけはじめた。
私は車両の真ん中より後ろよりに座っていて、それでもよく聞こえたのだから
かなり音量が上がっていただろう。
どの車両もロングシートしか空いていないことは予想できたが、
富山駅まであと少しということや、車窓も少し飽きてきたこと、
高岡駅で6分間停車するということもあって、
高岡駅に着いたときに、一旦列車を出て足を伸ばし、その後戻るついでに移動することにした。
このように、より過ごしやすい環境に移動したりするのは、ときどき億劫になるのだが、
成功すると、やはり快適で、妙な達成感がある。
なおこの列車は高岡駅で後続のサンダーバード3号と待ち合わせするのだという。
どのホームにもほとんど人の気配はなかった。
ここからは氷見線が分岐しています。
富山駅に着いた。1時間19分休憩できるこの駅を待ち望んでいた。
お昼なので人がいない。
ここに来たのは13年前。なんとなく親しみが持てる駅前だ。
富山地方鉄道の駅舎と改札口。
12:28富山発直江津行きの列車は、さっき書いたように金沢発であり、
富山を出る時間が迫っていたこともありすでに座席はほぼ埋められていたが、
私はデッキに立つのを待ち望んでいたのだ。
富山を出てさらに東へ進んでいく。
滑川のあたりでは、おもしろそうな石がごろごろし澄んだ水の流れる川が海に注がれる光景が
ときどき窓から広がった。このような川の様子も富山を越えれば見られなくなる。
入善近くまでは高校生が乗り降りしていたが、その後はそれも少なくなった。
そして親不知駅に近づくにつれてなぜか心臓が高鳴る。
ホームに入線するときにはほとんど恍惚状態だった。
数駅前のことはもう覚えていない。
富山から約1時間、列車は私を13時27分に親不知駅へ運び、
列車の短いタラップは緊張で足元の揺らめく私をホームへ突き飛ばした。
踏み切りの音が聞こえる、海の近いにおいがする、
そしてホームを一気に眺め回すと、なんと降りたのは自分ひとりだけ、
緊張状態が一気に高まり、茫然としたまま列車を見送る。
列車が去るとホームの市振側の先端付近が保線されていることに気づく。
しかし駅舎には誰もいない。
夏山がすぐ近くまで迫りせみの鳴き声が白い静かな駅舎に染み渡っている。
駅舎の中が少し暗いため、改札口から見える明るい海と高架橋は映画館のスクリーンの
ようだった。ホームや駅舎の写真を撮った。電池が切れたので駅舎内の長いすに座り
新しい電池を装填した。
ホームから。
駅舎内。
夏は涼しさ、冬は厳しい親不知をよく表している。
旧道を東へ。
駅前の線路側。駅前は山側にも海側にもちょっとした駐車スペースがあるが、
山側のものはバスのためのものだ。ちょうど私の立っているところがバス停にあたる。
旧道を西へ。
駅を離れた。
歌外波(うたとなみ)小学校は2005年の春に閉校。
歌外波小学校は130年の歴史をもつ小学校であり、この地区の人たちが代々通った学校だ。 閉校の年度にも、その前の年と同じようになにごとも変わりなく迎え入れた数少ない一年生を、 小学校自慢の桜の木の下で恒例のお花見をして温かく迎え入れたそうだ。
この歌波地区にまだ子どもがたくさんいたころ、親不知高架橋もなく、
親不知ピアパークもなく、このあたりの眼前には外歌波海水浴場があっただけかもしれない。
そこではたくさんの子どもたちが夏に海水浴を楽しんだだろう。
小学校にプールはいらなかったかもしれない。
学校から帰ったらすぐに海へ入り、夏休みもしょっちゅう海へ、
そしてときにはすぐ後ろに迫る山へ、遊びまくったのかもしれない。
ときには台風の恐怖もあっただろう。
恐ろしい暴風雨に部屋の隅で縮こまったかもしれない。
今はこうして人の影すらない真昼間、列車も自動車道も
通過、通過で、人の出入りなんて昔から変わっていない気がした。
しかしそれは、夏の昼間の、穏やかで安定している時間の流れのもたらす欺瞞だったろう。
静かに何かが変化しているかもしれない。
今はどこでもそうだが、ここでもやはり子どもは減ったのかもしれない。
よく考えると高架橋はかつて子どもたちの遊び場だった海水浴場に陰をつくっているし、
便利な洋上の親不知インターチェンジもできて、あっという間に
もっと別の地域の大きな都市へ出られるようになった。
しかしもし私がここに生まれたなら、この高架橋を見て、
もっと華やかなところへ行ける希望をやはり持ったのかもしれない。
レールは確かにはるか向こうまでつながっているけど、駅には特急が止まらない、
しかし高架橋上では高速で自動車が走り抜けてどこか別の都市へゆく。
自分も大都会へ出てみたい。大学進学や職業選択のこともあるしな。
それにいつも自分の町ばかり通過されて、通過されて・・・
高架橋の下だけ時間の流れが違うみたいだ。
自動車免許を取ったら、いつでもここを出られる、そしていつでもすぐに戻ってこれる、と。
私はここへ戻ってきたろうか?
旧道を進み、ちょっとしたピークを過ぎると、途中左手により見晴らしの利く道がついている。 三世代の道路を海と共に眺めるにはもってこいだろう。 しかし旧道からでも難所であることはよく理解できた。
旧道が下り始め国道8号線に合流するあたりに出た。直進すれば民宿が数件ある集落に行く。 本当はこういう所を歩いてみたいのだが、今はピアパークを優先することにした。
少しよどんだ空の海の彼方。
西側に隣接している親不知漁港は人の数十倍もある巨大なテトラポッドを
積み上げている最中で、立ち入り禁止らしく行くことができなかった。
また、ピアパークの東端は海水浴場になっているのだが、
もう海水浴をしている人もいないだろう。
その少し手前の海へ降りる階段はめちゃめちゃに崩れていた。
海を離れてヒスイの博物館に行った。入場無料の小さな博物館で、
貴重なヒスイやその工芸品が飾られている。また中に天険親不知のジオラマがあった。
見終わった後、レストラン漁火で食事。10代後半から20代前半の歳若い女性が3人ぐらいで
レストラン二階の海側の大きな窓ガラスを、一階入り口前からホースで水をかけながら
物干し竿に雑巾を巻きつけたもので拭き洗っていた。
この建物は2階がレストランで3階が展望台になっている。
展望台に行ってからレストランに入った。
模型の見本を置いていないのがまたいい。メニューは少なめだった。
外から見たとき、誰も入っていないようだったので、入るのを少しためらっていたのだが、
やはり中には客は一人もいなかった。あとはレジ兼ホールスタッフの従業員が一人で、
やはり先ほど窓を洗っていた人たちとほぼ同年代の女性だった。
窓から少し離れた席に着き、風景を独り占めして、
この辺に台風が来たときは景色はどう変わるのだろうと考えながら食事した。
後で知ったのだがこのレストランにはお座敷も用意されているという。
食事が終わりレジに行くと、たいへん丁寧な対応をされてとても印象に残った。
親不知は高級ホテルの林立するようなグレードの高い観光地ではないし、
海水浴客も減っていく時代で、ここへ来る前は、
観光産業は少しずつ衰えているのかもしれないと残念に思っていたが、
この日は全体的な雰囲気から観光に対する町の意気込みが感じることができた。
この親不知ピアパークも青海町が建てたものだ。
青海町は広く、しかも今回は天険親不知も見ておらず、町のほんの一部しか見ていないのだが、
こんな風に感じられて良かった。なお青海町は能生町とともに、
2005年3月に糸魚川市と合併した。ピアパークへ入る道のゲートにかかっていた看板に
青海町の「町」が消されていてなんとなく寂しかった。
以下、少しピアパークのことを写真で紹介したい。
1回200円です。
レストピア・売店・食事・休憩所。
おさかなセンター。新鮮な浜焼きが食べられます。トラックの運転手さんがかぶりついていました。
ピアパークのシンボル的存在の青銅のウミガメ「ミリオン」です。
レストランからの晴れやかな景色とテーブルをあとにした。時計を見ると15時前だった。 次の列車は15:33と16:10そして16:51とある。 始めの1本は糸魚川どまりであとは直江津どまりだ。 計画では最初の2本のどちらかにに乗って直江津へ向かう予定であった。 町の集落とかいろいろ見たかったが、15時33分の列車も近いし、 重い荷物がこたえ始めたのか、もうここを引き上げることにした。
帰り際に振り返って。
駅に到着。やはり自分以外誰もいなかった。
ホームに入ってしばらく親不知高架橋と海を眺めた。昔のここの様子を思い浮かべながら。 これができたために景観が崩れたという人もいるが、海の見える駅は多くとも これだれ鮮やかな自然と人工造形物の対比を味わえる駅は少ない。
仮に私がここで出生しどこか別の地域の都会に生活を移したとしても、やがてはやはり ここへ帰ってきてしまうのではないか、と思った。再び生活をここに移すのではないにしろ、 里山も海もない都会砂漠、あるのは大通りの並木と人工池の都会に倦みつかれて、 盆と正月でもないのに、ここへやって来る。静かな夜に親不知インターチェンジを降り、 実家へ上がり、少し休んで逍遥すると、旧道からは伸び行く自動車道が見渡せる。 近代的なコンクリート打ち放しの橋脚と自動車のライトの帯に都会を思い出してしまうが、 おもわずふと鼻息を交えて少し笑ってしまう。 「また戻るさ、でもまた(ここへ)戻るさ。」と。 自動車のライトの帯は、ここと都心部をつないでいるのだ。
しばらくしてやって来た列車に乗り込んだ。 この列車はもともとは寝台列車で、改造され普通列車として使われている。 コンパートメントが狭く窮屈かもしれないが、 こんな趣深い列車が普通列車だなんていいじゃないか。
朱のモケットにチェックのカーテン。カーテンがいい。
車窓より。
この列車に乗った場合、糸魚川駅の改札を出て駅前観光する予定だった。 15時43分糸魚川に着いた。高校生たちが次の列車を待っている。
「糸魚川」の方向幕。糸魚川駅にて。
向こうのホームには大糸線の列車がとまっている。どの列車も南小谷までしかいかない。
糸魚川駅正面。夕刻になり、自動車が多くなってきていた。
直江津方面のホームの道路側にはバラストを撒く黒い車両が置いてあった。 人がいるのはこちらのホームばかりで、じわじわと高校生たちが増えていく。 向こう側の切欠き式の大糸線ホームやレンガ造りの車庫も見所なのだが見に行かなかった。
「急行きたぐに」を含めると寝台列車が3つも。駅正面に「はくたか」増発の看板がかけられていたように、
ここは特急車両の停車が多い。
糸魚川から37分後、17時ちょうどにやっと直江津駅に到着。 寝台特急日本海に乗ると、この駅で車掌や運転士が入れ替わるため、長時間停車する。 いつも窓の外から真夜中の直江津駅を眺めていたことが思い出される。 屋根の支柱が地面から腰の辺りまで水色で塗られているホームから 橋上の改札を出て北口から駅前に出る。町全体が金色に染まり始める、まだ暑さの残る中、 見知らぬ街の見知らぬ道を地図上のイトーヨーカドーに向かって歩き出した。 イトーヨーカドーというところがなんとなくおかしいが、 そこで今晩と明朝の食料を調達する予定なのだ。 コンビニエンスストアよりもこういうところの方が自分には向いている。 それに今日はたくさん買いたかったから。
夕日の差し込む直江津駅ホーム。
イトーヨーカドー直江津店は2階建てで1階が主に食料品売り場で 2階が衣料品売り場になっている。さて買い込もうと思うものの、空腹を感じない。 今日は何も食べないでも平気な感じさえする。 たぶん空腹より疲れの方をより多く感じていたことや、 なによりも心の癒しを受けたことが、空腹への関心事を少なくしてしまったのだろう。 こういう状態になると、それでも食べておかないといけないと痛感するので、 品物をかごに入れ始める。惣菜の串が一本79円だった。果実が食べたかったので 果物入りの大きいゼリーを買う。あといろいろ買って、食料調達を終了した。 一旦地平駐車場のある西出口の長椅子に座って ぬるくなったペットボトルの茶を飲みながら休憩する。6歳ぐらいの男の子が母親に連れられて 夕日の中を帰っていく。ここは冬になると雪国だろうから、そのときはどんな恰好を するのだろうか、夏の終わるのをどう思っているのだろうかとか考えた。 直江津っ子のことを考えて浸っていたが、こんなことを考えているのは自分だけで、 どこの人も生活していくことは大変だと考えていることに思い当たると 現実に引き戻されて苦々しい思いになった。
夕日に染まるイトーヨーカドー。そろそろ買い物客が増え始める時間だ。
ここに来る前からモスバーガーが近くにあることを知っていたので一つ買って帰ることにした。 自分が住んでいる近くにはないので、食べることはあまりなく、 久しぶりに買って食べてみたかったのだ。 いま焼いてもらっているところ。声優さん並に声が優れた人にハンバーガーを渡され、 驚きのうちに店を後にした。
モスバーガー直江津店から少し歩いて18時を回った。 もう数十メートル先に今日宿泊するホテルα-1が見えているのだが、 チェックインするのは事前に19時としたから、まだいけない。 しかし早く休みたいという思もあって、足がゆっくりホテルへ進む。 御館橋を上っていくと、眼下に信越本線、北陸本線が見える。 分岐はさらに西にあるから、直江津駅構内の広大さがわかる。 御館川という小さな川を渡る前にホテルα-1上越に着く。 歩いてきた県道123号からこのホテルに入るとそこは2階になる。 なるべく時間を稼ぐためいったん1階へ入ることができる道路に下りてそこから 建物に入る。駐車場している自動車はまだまばらだ。 2階にフロントがあると思っていたのだが、フロントがあったのは1階だった。 入り込んでしまったためチェックインせざるを得なくなる。 少し早くなってしまったのですがいいですか、 と訊くとまったく問題なさそうに返事してくれた。 予定の時間より一時間を切っていたからそう考え込む必要もなかったのかもしれない。 チェックインを済ませて階段で自分の部屋まで行こうと思ったが、 エレベータ横の階段は2階までしかついていなかった。
ようやく今夜の我が家に到着。 バス・トイレをチェックし荷物を置いて早速ベッドへ座りくつろぐ。 テレビをつけてみたり、調達してきた食料を並べたり、暮れ行く窓の外を眺めたり。 硬くなった足を揉みながら今宵を楽しみ始めることにした。
買ってきた食料の一部を並べてみた。少し暗く移っているように思えるが実際の照明もこんな感じだった。
チェックしたユニットバスの様子。リンスとボディーソープがカーテンに隠れている。
バスは割りとゆったりしている。
この時間帯になって気がついたが、ここは夕日が沈むのにさえぎるものがない。
そのまま海に沈む。そのせいか、赤に近い橙の光が町にあふれている時間が長い気がした。
遠い地方に来てテレビを見るのは、
ひとえにこの地方限定のコマーシャルを見て楽しむため。
明日の予定は鳥ヶ首岬と鳥ヶ首岬灯台を見るために国道8号線を、
名立駅から有間川駅まで歩くことにしていた。
しかしこの計画は行程が長いため、行く前から不安に思っており、
今日一日の疲れからさらに自信がなくなって、相当迷うことになってしまった。
また、そのあたりの地図は昭文社の上越市の都市地図についている
縮尺15万分の1の地図しか持っておらずまたガイドブックの類を買うのをけちったため、
距離感覚や地形が掴みにくかったこともあった。
このあたりは地図がなくても道に迷うということがないのは確かなのだが・・・。
この計画を実施するかしないかで朝起きる時間が変わってしまう。
実はもう明日の朝は朝遅くまで惰眠をむさぼりたい気持ちになっていたのだが、
せっかく来たのだから行こうと一応計画通り朝の5時50分に起きることにした。
直江津6時55分始発の列車で名立まで行くことになる。
そうと決まれば、早く寝付くための準備を急いでし始め、すこし焦り始める。
忘れぬうちに時計をセットして、
もはやつまむのもやめ、いよいよまともに夕食をとるためカップめんの湯を沸かし、
その間に風呂桶に湯を張る。またゴミ捨てや荷物の整理などで結構ばたばたした。
こちらではその間に部屋の中を紹介しよう。
ドアから部屋に入って見える光景。
机の上と天井の丸い電灯は蛍光灯になっていて、ビジネスでの利用に適応していた。
ベッドはセミダブルで、ベッドの手前に小さな机と椅子がある。
ベッドに座って机とテレビを見る。ニュースは選挙のことを放送していた。
無事沸いて調理完了。
お湯張りも終わった。
おそらく8号線沿いの夜景。三脚なしでうまく撮れないが、とにかくおやすみ。
Home | 1 >2 (次のページ:2日目は名立、直江津、青海川へ。) >3