このきっぷは、立山黒部アルペンルートを最大8日間かけて楽しめるきっぷであり、 発駅からアルペンルートの始点まで、 またアルペンルートの終点から発駅まで、新幹線指定席、特急指定席、急行指定席 に乗車もできるきっぷだ。
ちょっとここで立山黒部アルペンルートを紹介したい。| 富山地方鉄道 | 地鉄富山駅 | 1時間 |
| 立山駅 | ||
| 立山ケーブルカー | 立山駅 | 7分 |
| 美女平駅 | ||
| 立山高原バス | 美女平駅 | 50分 |
| 室堂駅 | ||
| 立山トンネルトロリーバス | 室堂駅 | 10分 |
| 大観峰駅 | ||
| 立山ロープウェイ | 大観峰駅 | 7分 |
| 黒部平駅 | ||
| 黒部ケーブルカー | 黒部平駅 | 5分 |
| 黒部湖駅 | ||
| 関電トロリーバス | 黒部ダム駅 | 16分 |
| 扇沢駅 | ||
| 乗合バス | 扇沢 | 40分 |
| 信濃大町駅前バス停 |
出発地域や出発駅は定められていて、それによっては
アルペンルート始点に至るまでのルートがいくつかあり、
選択したルートによってきっぷの値段が変わるなどややこしい。
詳しくはこちらへ。
今回の旅行は鉄道の旅と立山の自然を再び味わうことにあり、 11月1日から2泊3日で2人で行った。 私も今回はほとんど運良く機会を捉えた感じで、この2人で行くことが決まったのは 1か月ちょっと前だった。そのときから少しずつ準備をしはじめて、出発日が近づくにつれて 計画の綿密さや準備の忙しさが増していったという感じだった。 立山行きが決まったと同時に「立山黒部アルペンきっぷ」を用いることに決まった。 このきっぷを用いると、鉄道の旅と立山を楽めるように計画を立てることができる。 きっぷの詳細は上で述べたとおりだ。8日間有効だから、 幕営をする本格的な登山者にとっても便利なきっぷかもしれない。
今回の旅行の予定を簡単に。
| 1日目 | 富山駅まで特急で行って、アルペンルート途中の弥陀ヶ原散策ののち、天狗平で宿泊 |
| 2日目 | 室堂散策、室堂で宿泊 |
| 3日目 | 黒部ダムを見て、信濃大町駅へ、そして中央本線経由で帰宅 |
今回の旅行は11月初旬ではあるが、私が初めて立山に行ったのは12年前の7月下旬で、 そのときの室堂でのトレッキングの内容を、乗り物の移動も含めて書くと、
室堂-一ノ越-東一ノ越-雷殿-(立山トロリーバス)-大観峰-(立山トロリーバス)-室堂
であった。この雷殿歩道は現在落石により道がつぶれ、通行不可能であり、立山トロリーバス も全便雷殿駅を通過することになっている。実は私たちが12年前に雷殿歩道を通ったときも、 ちょうどタンボ平へ下る道が分岐している手前を歩いていたとき、その十数メートル先で 巨石の落石があった。そのときは、その驚異的なパワーに驚かされたが、 その後落石が起こりそうになかったことから、右手が険しい断崖になっている道を 慎重に進み、雪渓を越えてさらに進んだ。途中メンバーの一人が断崖を滑落しかけて 道にしがみついたり、左横の高い崖の低い位置から、つけもの石程度の石が落ちてきたりで たいへん印象的だった。途中右手遥か下方には黒部湖が見えた。 やがて少し不気味で古いコンクリートの巨大なトンネルの入り口が見えた。 道はこの中へと続いていたが、はじめのうちは、 これは道を間違ったのではないかと思った。 中は真夏の昼でも涼しくて暗くて、こんなところを進んでいくのかと恐れたが、 雷殿駅の入り口として考えられるのはここしかなく暗闇の中へ入っていった。 こわごわ進み続けると、駅務室らしい小さな建物の明かりが見えた。 そこではなんとストーブが焚かれていた。この駅には駅名標などはなかったように思う。 ここで立山トロリーバスのきっぷを買い、大観峰駅へ向かったのだ。 そのとき買ったきっぷが残っていた。
1枚目のきっぷ:雷殿から大観峰行きのきっぷ。
2枚目のきっぷ:大観峰から室堂行きのきっぷ。
今回の旅行でも3日間のうち2日間にわたって天気に恵まれ、存分に散策を楽しめた。 ただしこの2005年の立山はだいたい1か月雪が遅れており、11月2日であるにもかかわらず、 雪は例年に比べ異常に少ないらしかった。なお、私は登山をしないので、 今回も散策、トレッキングに終始した。今回は弥陀ヶ原、天狗平、室堂と、 場所を変えて散策した。室堂での散策の内容は、
室堂駅、みくりが池、地獄谷展望台、雷鳥平、の順に進み、 一ノ越への道中、室堂山荘を見下ろしたところで、来た道をそのまま引き返し、 室堂駅へ戻る
という妙な行程になってしまった。のちに詳しく書きたいと思う。時刻表を見ながら乗り継ぐ列車を決め、立山黒部アルペンきっぷを近くの緑の窓口へ 買いに行った。
1日目に富山へ向かうため、大阪発富山行きのサンダーバード1号の指定券を取った。 約2週間前だったが簡単に取れてよかった。
京都から富山までの指定券。指定券は無料なので金額の部分はアスタリスクで表されている。
信濃大町から松本までの「スーパーあずさ」の指定券
今年の夏も富山駅へ降り立った。そして、わずか2か月後に再び旅行で降り立とうとは思いにも よらなかった。今回の旅行は、前回のような青春18きっぷを使う、ときには哲人の考え方の 必要な旅とは違い、いいところに泊まって食べて、散策して、土産買って帰る、という 旅行だ。こういうのもまたいい。そもそも立山は、アルペンルートを通過するだけではなく、 散策や登山も含めるなら、一人旅にはあまり向いていないのかもしれない。 一般的な観光旅行ができるようにきちんと整備してあるから、 まっとうにそれを楽しむのがいいのかもしれない。
京都駅へ向かう普通列車を一本逃してしまい、京都駅で朝食を買う時間が 短くなってしまった。京都駅まで来るために乗ったきた新快速は 相変わらずの混みようで、私も周りの人と同じように黙りこくって下を向いて 京都駅への到着を待った。着いたら人ごみを掻き分けようやく0番ホームへ。 旅の第一歩である。0番ホームは出張らしき人や旅人などが特急を待ちわびていた。 むろん私もその一人、車内でとることになる朝食のサンドイッチを確保して列に並んだ。
列車に乗り込んで座席を探しだし、左側の窓側に座ると、 ホームの発車案内が聞こえないため、知らぬうちに出発した感覚にとらわれる。 自分の座った窓側の座席は、 窓枠が前の座席と近いため、後ろの席よりも車窓を損した感じだ。 もちろんこれでも十分なので特に文句があるわけではない。 しかしこれからは奇数番号の座席を頼んでみようと思う。
特急サンダーバードの次の停車駅は武生で、堅田も敦賀も停車しない。 琵琶湖と反対側の車窓を飽きることなく眺め続けた。 比良山系の一部が迫ってくる滋賀の辺りを通過し、 セイタカアワダチソウにより荒れるままになっている湖西の棚田を見たあと、 高島市に入った。
富山に到着。
ようやく改札を出て、のんびり地鉄乗り場へ向かっていると、 急行があと2,3分足らずで出ようとしていて、 "かえり"のきっぷで急いで改札をくぐった。
車窓より。あわただしい中なんとか席に着き落ち着いた。
寺田駅へ到着。木造の立派な駅舎。
車窓から立山連峰を望む。さわやかな湧き水を連想させる。
岩峅寺駅を車窓から。
車窓から横江駅を。徐々に山を登ってていて、周りは森に囲まれている。
車両内の様子。補助席のある元京阪の列車だ。
平成3年にワンマン用に改造されたことを示すプレートがあった。成田山のお守りも健在でした。
運転席を窓越しに。登山列車みたいだ。
ある光景に心を揺り動かされたとき、そのときの映像の記憶は、 心を動かされた瞬間の映像だけでなく、その直前直後の映像とともに記憶されることが あると思う。たとえば、次のバスの改札の時間の 迫っている室堂駅を、そのバスに乗るために駅構内を少し足早に歩いていて、 片隅の電灯式駅案内表示がふと目に入り、その光の具合が一瞬「いいな」と感じたものの 再び前を向いて歩いた、という一連の行動があったとすると、記憶された その一瞬の光景は一枚写真のようではなく、その光景を良いと感じた前後、 様子も一緒に記憶され、その光景を思い出すと常に思い出した瞬間、 そこから視点をずらし前を見るまでの動画として再現され、そのため私の記憶にある 電灯式案内表示の光は、思い出した瞬間すぐに揺れ動いてしまい、幻想的だ。
列車は登坂を続けていた。周りはすっかり人工林に囲まれているが、 そのうち自然林を越えて森林そのものに懐かしさを覚えることだろう。
すっかり林に囲まれた本宮駅付近を列車後尾の車窓から。
本宮駅を過ぎるとざらざらの河原が左手に見えた。このあたりは千寿が原という地名になっている。
雪渓のアルプスへ・・・
やはりこれから入る中部山岳国立公園の立山一帯は異空間である。 だから緊張したのだと思う。肌に当たる冷たい風や、 自身がかつて見たあのような山々に囲まれることを想像すると、 いまそこへ進む一歩一歩がうれしい。 いや、今はそのように進まざるを得ないことがうれしかった。 今回の旅行は、ちょうど自分が立山にもう一度行ってみたいと 何度も思っていたそのときに、突然日程の都合もつき同行者も 同じ想いだったから、旅の計画中は、 本当にもう一度行くことになるのだろうかと本心から疑問を抱いたりしたが、 今はもう行くしかない、行かなければならないのであるというこの状況に、 喜んだし、いや、計画を立ててからは事故や病気や過度の興奮を避けて 慎重に生活してきたのだからこの一歩一歩は必然だ、と喜びを減衰させたりした。 むろん後者は興奮を抑える平衡をとっていたのだと思う。 とにかくそれぐらいに楽しみでしようがなかった。
立山駅に到着
アルペーンルートの乗車整理票。立山駅⇔扇沢(フリー)と示されているが、右上の四角いはんこには「立山〜黒部湖間フリー」と示されている。というのは、関電トロリーバスは1回しか乗車できないからだ。
こんなにいい雰囲気の駅舎内さえもじっくり堪能できなかった。
慌しく改札を抜けて、ケーブルカーの駅構内へ向かった。
7分間ある放送の案内を聞きながら、材木坂を通過、人が多くて見られない・・・。
本によると、立山駅から徒歩で美女平駅へ向かう登山道は上級者コースだそうだ。
坂が急で道に迷いやすいという。ケーブルカーができて人が通らなくなったのかもしれない。
美女平駅に着いたが、そのまま団体に揉まれながら、高原バス乗り場へ。
ところで、ケーブルカーを降りると、高原バスはすぐに接続するような雰囲気だった。
高原バスの改札口には係員の方が2,3人いたし、
例の一団体もケーブルカーを降りて高原バスの改札口に集合していた。
この団体さんはたいへん無口で静かで、男性だけで構成されていた。
個人客は我々を含めてたったの3人。これら全員が高原バスの改札口に自然と向かっていた。
なんとなく、次の高原バスに必ず乗らなければならないような雰囲気だった。
私は、高原バスはすぐに来るのだろう、と思い始めた。
もちろん、先ほど立山駅の窓口でされた説明を書いた部分を読まれると、
すぐに高原バスが来るはずのないことに気づかないのはおかしいと思われるかもしれない。
しかしじつは、先ほど受けた立山駅の窓口による説明は、
ただ単に「次のケーブルカーに乗っても後のに乗っても、
乗ることになる高原バスは同じ」という趣旨の簡単な説明で、細かな発車時刻まで
聞かされていなかったため、すぐに高原バス接続しても別におかしいとは気づかなかったのだ。
それゆえ、すぐに高原バスが来るのだろう、と私に思わせることになったのだ。
美女平駅の客は静かでほとんど無口な一団体と我々を含めた個人客3人だけで、
その全員が改札口に集まっていた。
改札口はなぜか異様にしいんと静まり返っていた・・・。
一本遅らせたいと言いにくいな、と感じていた。
それにしても、妙だなこの団体さん、会話がない・・・
それに改札の時刻もなんだかおかしい・・・。
そしてようやく、このとき待っていた高原バスは、
ありえるはずのものではないことに気づかされる。
団体と改札口を異にして並んで待っていると、一人の一般の方が職員に、このバスは
何時の便かと聞かれたところ、返ってきた答えは「臨時便」だとのこと。
なんと私たちが乗るはずの定期便のバスの手前に、この臨時便がやって来て、
通常よりも早く高原バスに接続し、しかもそれに乗るために私たちは並んでいたのだ。
実は私たちもまさにその人が質問したとき、
誤解を生んだあらゆる状況を覆して疑い、今並ばされているのが時間的におかしいことに
独力で気づき始めていて、
ちょうどアルペンルートの時刻表と駅や腕の時計を戸惑いながら交互に見ていたところだった。
とっさに一本遅らせなければならない、と思ったが、間近には団体がいて、
さきほど一人の一般の方がされた質問の内容を考えると、その直後に、
この次の定期便に乗ります、とは言い出せなかった。
きっと避けられていると思われるだろうと思ってのことだった。
だが、美女平を散策したいと言えばそれでよかったのに。
というより、美女平についてから決めるという程度の心積もりで、
実際に散策を予定していた。
なお、しばらくして、団体さんの行き先も我々と同じ弥陀ヶ原だ、
ということが職員の方によって我々に知らされた・・・・・・。
改札が始まった。今度はケーブルカーのときのように後れを取りたくないと思い、 そのままさっさとバスに乗った。 この臨時便バスはたぶんこの団体のためのものだと思うのだが、 改札は一般客が優先された。 アルペンルートの踏破が一日がかりであろう夏の日々を思えば贅沢だと思う。 ほどなくして、バスは出発。ブナの森を抜けて、徐々に木々の高さが低まってくる。 このバスに乗っているときに気づいたのだが、団体はなんと全員男性で、 ものすごく静かな集団で不思議だった。やがて高原になり、弥陀ヶ原に到着。 前回はそうだったので、バスに乗っている間は酔わないように気をつけた。
12年前立山に行ったときは、ほとんど室堂志向で、それより標高の低い弥陀ヶ原には 注意を払っていなかった。ゆえに今回の目的地にはまず弥陀ヶ原が入った。 バスで通過してしまいそうで心残りがあったので、ここを訪れたい気持ちは 高かったと思う。
12時24分弥陀ヶ原駅に到着。
弥陀ヶ原ホテルは最近改築された。
弥陀ヶ原の遊歩道は少し雪があった。雲が下方にあり、まさに天上の高原だ。
バス停付近の遊歩道起点。早く楽しみたい。
しかし、もうお昼なので、昼食をとることにした。 駅員さんによると、弥陀ヶ原ホテルとは反対の立山展望山荘でも食事ができる というのでそこへ向かった。
県営の立山展望山荘。外観が雷鳥沢ヒュッテに似ている。
展望山荘の前から見下ろした弥陀ヶ原。
展望山荘の入り口。
レストラン内の様子。
フロントの様子。ごちそうさまでした・・・
ちょうど良い室温の山荘から外へ出るとやはりここは空気が違うことを思い出した。 これからは所々に薄く積もった固い雪を見ながら、 手袋の暖かさを感じ、ときどき茶を飲んでの散策だ。 まずは、山荘のすぐ横に入り口がある立山カルデラ展望台へ行くことにした。 本によると行きが20分、下りが15分となっている。 気楽なはずの散策だったが、少し緊張し始めたため、黙りこくって歩いた。 緊張していたのは、きっと何かを捜し求めていたからかもしれない。 石とモルタルの道は所々苔むして、日陰では雪が氷になっていて滑りやすかった。 道の脇には雪をのせた笹が茂っていて、進むたびに動物が中を逃げて行ったような ガサガサ、という音がした。しかしこれは、風に揺られた笹が雪を落とした音だった。
笹の音を聞きながら緩い坂を登り続けて約16分、 立山カルデラ展望台の一つ手前の広場に着いた。 展望台はというと、もう目の前に見えている階段の先である。
立山カルデラ展望台手前の広場より湯川谷を望む
展望台から先客が降りてきた。 話によると、この広場とはまた風景が違うという。 さっそく登りに行った。
湯煙の上がっているところが「新湯」でその隣の池が刈込池。
新湯の手前に見えている谷を登るとザラ峠に辿りつく。
ザラ峠から新湯への下りは、新湯に至るルートの一つとしてときどき利用されている。
新湯は簡単には訪れることのできない秘湯とされています。
写真中央の稜線は凹んでいますが、そこがザラ峠。
1584年冬に佐々木成政が越えたとされています。
その左側の緩やかな山が獅子岳、その隣に突出しているのは鬼岳。
その左には龍王岳が見えかけています。
ザラ峠の右側の大きな山が鷲山で、その向こう側は
天上の散歩ができる五色ヶ原が広がっているはずです。
左下隅に新湯が見えていますが、新湯から登っていった所にある山が
鷲岳です。鷲岳の奥に鳶岳があるはずですが、たぶん隠れて見えていません。
目の前に迫っている尾根は鳶岳の分稜で、それが立山カルデラまで下りてきています。
そのため、鳶岳から薬師岳の主要な稜線はわずかにギザギサ状になって
現れているだけです。
眼前の美しい山が薬師岳で、その隣は太郎山。
冬の薬師岳の東南稜で13人が亡くなる愛知大学遭難事件がありました。
現在その稜には行かないようにという目印としてケルンが建てられています。
薬師岳と立山カルデラ全景。
手前にくびれて見える部分に立山温泉があります。
かつての登拝者や修研者が立山登山の行き帰りに利用したそうです。
現在宿泊施設はない。
頂上からの帰り道。
帰りに振り返って撮影した道。このように日陰は雪が凍りついていた。
展望山荘まで降りあとは再び弥陀ヶ原駅を横切って、散策道の入り口へ向かった。
六甲学院ヒュッテ
遊歩道の入り口。
割と高低差のある遊歩道の始まり。左の写真は木の階段の上から撮ったもので、
右の写真は下ったところ。
振り返って弥陀ヶ原ホテルを。まだそれほど離れていない。
木道は延々と続く、しかし歩き続けるのは気持いいの一言に尽きた。なんの疲れも感じないのだから不思議だ。
これらがたぶんガキの田。ガキ田とも呼ばれる。
休憩を終えて、ちょっと一の谷の方向へ進み、道はどんな感じかを見る程度で 再び分岐点へ引き返し、弥陀ヶ原駅へ向かった。 一の谷の方向へ進むと、いきなり腐って崩れた木の橋に遭遇した。 きっと年に何回も補修が必要なのだろう。何よりも11月半ば以降は 雪に埋もれてしまうわけだから、来春は多くが使用できないのかもしれない。
帰り道に。このあたりはもう道路が近く、ときどき自動車やバスの音が聞こえる。
割と規模の大きな休憩所。動植物の解説パネルが多すぎる。
弥陀ヶ原バス停。このバス停の写真を蒐集しようと思った。