北陸4 - 第2回北陸海岸紀行 -

海岸駅を目指して

  未明の空は曇りのような、晴れのような、判別できないものだった。無事、裏通りを抜け、市電の通りに出た。駅前の道は歩道を整備し、新しい建物も見受けられたから、ひところやり直したのかと思えた。  もう一度空を仰ぐと、さっきから数分と経っていないのに確かに明るくなっていて驚いたが、それで雲はないとわかった。  今この時間この場所この時間に、自分がいること、これがこんなに成し遂げにくいことだったとは、この一年今までを振り返って思った。例えば今朝寝坊しても、もう駄目だった。とにかくこの機会を生かさなければならない。慎重に歩きつつも、まずはとにかく乗り逃さないことだ。胸を突く緊張を抑え蒼然としつつ、歩く。ホテルという楽屋から、北陸海岸への舞台袖へと。

緊張とともに富山駅に向かって歩く。

未明の地鉄前広場。

  昨日の夕刻佇んだ、越中の薬売りの噴水のところに来る。その近くに立山からの湧水を飲めるようにしたところがあり、ここて空のペットボトル2本に、その水を詰めた。何せああ暑くては何本飲料を買ってもたらない。少しでも足しにしたかった。水を詰めながら思う。地の人は、そんなことよくするな、とでも思っているのかもしれぬと。旅行者。渇いているときは、湧き水と言われれば、飲んでしまうのだった。

富山駅。

 

ネオンサイン、ではない。

駅前広場。

 

  未明、5時を回った富山駅は、中の店は総じて閉め立てられており、またコンコースの明かりも落とし気味で、そんな中、数人の客が改札口前にて、朝一番の列車に乗るため、決心がつかぬかのように立ちどまっている。私は迷いもせず、改札に向かう。「おはようございます」。駅員は通る人にそう声を掛けてから、切符に判子を、むぎゅっと押す。この時間帯に慣れないらしい客の幾人かが、一人しか出ていないその駅員にどこから発車するのかを訊いていたりする。

富山駅に入って。

  早々と改札を出て、富山の朝まだきのひんやりした空気の1番線ホームに体を突っ込み、流体のように地下道入口まで移動する最中、緊張感が高まったと同時に、落ち着いた決心のようなものが感じられた。しかし詰めた水の重さを感じている自分が、実は精一杯立っているに過ぎず、いつ倒れるともわからないようなものでもあった。

 

  離れたホームまで来たが、昨日賑わっていた駅弁屋やKisokは廃業したみたいにシャッターが下り、彩りも乏しくて、おもしろくない駅になっていた。下り始発たる、5時46分発、普通、直江津行は旧寝台車か。車内に飛び込むと、照明が効いていて、外よりも、ホームよりも明るい。そしていつもの古びた匂い。それらで少しほっとした。

  列車は10分後、数人の客を乗せて出発した。私は右側に座っている。まず、コカ・コーラの大きな広告塔を見る。この広告が、ここからは真剣に、富山東部、富山極東部の平野、そして親不知、糸魚川、それから頸城平野への旅が始まることを告げる。富山ほどのこれほど都市らしいものは、もうこの先ずっとなく、現れるいくつかのやや大きな街を足し合わせることで、感覚を満足させることになるだろう。そうもしていると、富山機関区を速球で通過する。特急サンダーバードの編成などが寝ている。今乗っているのと同じような列車も、窓という目を黒く閉じて、寝ていた。この列車は早起きなんだ。この富山機関区が見えて、東富山に着くまでは、北陸本線は旧富山港線に並行するように、ほぼ北に向かっている。しかし乗っているとわからないものだ。
  東富山着。そうではないのに、私は、まだ富山近郊区間である、と列車に乗りつつ旅行記を書くことを想定する。

富山機関区。至東富山。

「まさに富山東部に来た」という風景がちらっと見えた。 滑川 - 東滑川間にて。

  人は魚津でほとんど引けた。
  いよいよかと思い、汲んで来た水を飲んだ。その水は、湧き水というものの、明らかに生水に変わりなく、合わない人が口にしたらその瞬間間違いなくどきりとするだろうと思われる味だった。
  生水は、酸い葡萄酒と異なり、いっそう感覚をなまなましく生かそうとした。くつろぎを許さない覚醒、麻酔のない全身、北陸の海よ、私に迫れ。
  旧寝台車のエンジンのもの凄い唸りとともに、半農半漁のような、平野の限界の水田と、玲瓏で冷たい海が幾度となく見えた。最果て、極地、磊落せる親不知に向かって列車は、夢のような風景を見せながら、けれども美しくも悲しい風景を見せながら突き進む。望海の平野を走り続ける緊張のせいで、ついには頭のだるさや体の疲れを感じはじめた。「もうそろそろ限界だ」。
  泊りを出る。泊りを出たら、ふっきれたように海がぐんと近くなった。窓が蒼い。もうここから先は、はてになる。

泊 - 越中宮崎。

 

越中宮崎あたりにて。

  少し落ち着きを取り戻したのかのように、風景にかろうじて平地と松の木が見えて、越中宮崎着。はてに入り込むと、かえって落ち着いた。そこを出て、エンジンの凄い唸りとともに、蒼暗い海に風雪に耐えた番屋の風景が続く。ほかはもうとっくに日の出だというのに、このあたりだけは、まだ日陰だった。天嶮の暮らしの怨みのようなものが、青黒く滲出していた。

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