九州都市周遊

熊本での投宿 - 第一夜

  感謝すべきことに暗闇の千丁駅に入線してきてくれた上り列車に、自分と、あの二人との、三人でさっと車内に入る。車内に入った彼らはうつむいて、おとなしくなったように見えた。私は熊本に近づくにつれて安心しはじめた。28分後の21時44分、熊本着。さっき熊本から乗って、今戻って来たから、千丁駅はちょっとした冒険に思える。
  さてここで豊肥本線に乗り換え、今夜の投宿所に向かう。豊肥本線といっても肥後大津までは近郊区間のようなもので、本数も多い。発車は22時10分だから26分時間があるが、逃したくないため、もうA0ホームに行き、発車前の列車に乗った。

  今夜も四国のときに予定していたようにパソコンを置くようなカフェで休ませてもらうのだが、前回とんでもないことになったから、網目を張り巡らせた。今から新水前寺駅というところまで行って、TWORKS味噌天神というところに入る。が、もし休みやその他不測の事態で入ることができなければ、平成駅という駅まで戻って、湯らっくすという健康ランドに入るように、予定を組んだ。もちろん今から新水前寺で降りても、まだ上りも下りも列車があった。湯らっくすが駄目なら、その同じ駅界隈にある自由空間という別のネットカフェへ行こう。ここまですれば大丈夫だろう。実は、豊肥本線の熊本から肥後大津までの沿線にはこのほかにも健康ランドやネットカフェが数多くあり、選定に不自由しないのだった。ネットカフェを選んだのは、こうして夜遅くまで遊びほうけて、夜明け前から起きて、訪れたい駅に向かうためだった。

  もう夜遅いというのに、22時10分、発車した肥後大津行きには客もそこここに座っていて、さすが熊本なのかなとぼうっと思う。肥後大津までのところに割と住宅地があるようだ。列車が動き出してからは、私は視線をするどく車窓に注いでいた。とにかく乗り過ごしてはならぬ。ぼうっとしてたらまた羽犬塚みたいなことになる。ひと駅ひと駅確認して、熊本から8分後、新水前寺着。下車した。三月だが夜はまだ冬だった。そして道路より高い所にある寂しいホーム一本の駅だった。とぼとぼ歩いて、階段を下りる。造花の桜を所狭しと飾っている。有人駅だが、とっくに営業は終了している。
  キャップをかぶった私服の高校生らしき男がすでに赤い字で数字がともっている券売機の前に立ち、携帯電話で「どうやって買ったらいいん?」と訊いていた。非常に不思議だったが、このようなこともあるのだろうか。たいそうかわいらしく思えた。私はキャップが似合うかしら。

新水前寺駅。

こんな道を歩いた。

  襟巻を締め直して、ナトリウムランプ灯る大通りを歩く。路面電車が走るのだが、当然もう終電も出ていて、車ばかりだった。歩道に人は歩いていない。たまに信号を待ち、また歩く。こんなところで襲われたら、そんな思いにとらわれる。店は本当にあるのだろうか。架空ではないのか。がっくりするのには慣れている。早いこと目印のところまで歩きたい。
  いよいよ立ちどまり、この辺のはずだが、と思う間もなく、あった、白熱灯とデザインされた字面のせいで読みづらかったものの、Solution cafe TWORKSと書いてある。
 ここか、こんな建物だったのか。5分で着いた。

Solution cafe T-WORKS 味噌天神。 ネットカフェ。

  よし、入ろう。階段を上り、ドアを確認すると、ちゃんと営業しているではないか。本当に? 信じられない。こんなにうまく行っていいのか。苦労したことがあるだけに、胸はどよめいている。はるか南の彼方の熊本にやって来て、その中の一点に、やってきたのだ。ちょうど私の欲する時間に、そして店の開いている時間に。 ドアを推す。
 「いらっしゃいませ」
  店の者がちょっと不意だったかのようそう言うのが、 まだ店員が目に入らぬうちに聞こえる。ドアを右に回り込んだところが、カウンターなのだった。
 店内は意外なほど上品で、フロアの中央部のソファなどあるところでは、静かに何人かの人がくつろいでいた。その右手にオープンスペースのパソコンが並び、左側はドリンク・バーとなっている。
 カードを作ってもらうため住所氏名を記入した。手渡すと、私の書いた住所を見てか、店員は目を見開き、おやすみなら個室がお勧めです、と速やかに言う。それで、この店員、ただものではないと思えた。なかなかこういう人はいそうでいない。えらく遠方から来た、よって、泊まりだろうと、さっと考え、それを戸惑わず言葉にしたのだった。カードを作るときに、身分証を見せた。
  個室の番号と、その位置を口頭にてさらりと案内してもらい、ドリンクバーなどに後ろ髪を引かれる思いながらも、その個室へと歩いた。個室といっても胸高150センチくらいのもので、鍵なしの板戸を開くと、高床にビニールクッションが詰められ、奥にモニター二台のパソコンが設置されていた。パソコンの下は足を入れられ、横になって寝ることができる。この胸くらいの高さのため、覗くことも考えられてか、注意書きに、覗き行為絶対禁止、そのようなお客様は即刻退店していただく、とあった。隣の個室前には革靴が置いてある。
  襟巻、手袋、鞄を投げ出し、横になって見ると、これは確かに寝られそうだ。しかし貴重品の管理が気になった。肌から離さないようにしておくしかない。
  ちょっとパソコンの電源を入れて、いつも見ているサイトを出し、私はひとり満足げのようだった。早くも電池を充電し、ドリンクバーへ。ジューサーから好きなコーラをなみなみと注いで、画面を見つつ個室内で思わず緩頬させた。しまいには自分のサイトをどうにか表示させて、個室内で記念撮影するという、今思い出せば滑稽な、背筋に冷たいものさえを感じるようなことをやった。

室内の様子。

これは椅子ではなく背凭れ。全体は高床になっている。

食事メニュー一覧。スリッパやブランケットの貸し出しもあり。 カップ麺も置いているそうだ。


 ともかく個室とドリンクバーの往復が、一体何回繰り返されたやら。汲みに行くとき、さきほど述べたロビーのようなところでは、お爺さんが丼物を前にして雑誌を渋い顔で読んでいた。喧嘩して家を出たのだろうか。オープンスペースのパソコンには一人客がいて、キーボードを枕に熟睡。客から見ても店員が厭悪しそうな図となっていた。しかし店全体はやはり調度がよく、どちらかというとカフェ、と称しても差し障りなかった。ここ個人の営業となっている。

  室内に戻る。メニューが貼ってあるように、ここでは食事が注文できる。外来者にとってはどれもおいしそうなものばかりだが、今夜は注文せず。もうここに来れたこと、こうして横になれること、ついでにインターネットにもさわれることに、大変満足だった。
  コーラももうやめて、寝ることに。隣の革靴はなくなっているし、キーボードを枕にしていた人も、いなくなっていて、店員がしきりに霧吹ようのものでキーボードを掃除していた。
 寝る前に洗面所に行ったら、これがトイレともにたいへんきれいで、寝しなにほっとした気持ちになれた。ここはよそとは、かなり違う。トイレのついでに店内を回るともなしに覗くと、フロアは奥行きがあって、さらに個室が並び、雑誌のラックなどがあった。

  いよいよ寝始めた。しかし、本気で寝ようとすると、体がかっと熱くなり、寝るのにも疲れを感じた。このようなところで寝るというのもまた、侘しい。みんなはやっぱりゲームをやっているのかな。私はゲームがわからなかった。

寝た感じ。

  1時20分ぐらいになっても、まだ眠りに落ちていなかった。
  目ざましで目が覚め、時刻は4時半。身支度に1時間みておいたのだった。さっそく洗面所などに行った後、また冷たいものを汲んで来る。何か注文したくなった。さんざん迷ったが、結局やめた。変な時間には注文しにくい。5時になり、天気予報を見てみたら、晴れとなっていて、初めはよろこんだが、行く前に湿った気流が入りやすいと聞いていたので、薄曇りの晴れかもしれないと思い直した。
  5時半までとくにやることなく、まんじりと待機する。決心して、いよいよ会計しに出ると、店員の一人は雑誌を立ち読みしていて、ここは気楽そうだった。会計の人は硬めだったが、誠実で、入る時にもらった100円5枚綴りの券をしまっていたのだが、私の目をじって見て、割引券はお持ちですか、ときいてくれる。そう訊くのが決まりだと、思えない様態だった。「ありがとうございました」との響きを聞きながら、店の戸を推す。外は冬めいていた。空は暗黒。しかし歩道を歩きだすと、かすかに春で、日の出後は気温が十分上がるのが察知せられた。

ネットカフェ近くの味噌天神の信号。

新水前寺駅。

階段から見た改札口。

  新水前寺駅に着く。当然まだ営業していない。
  上り始発の6時13分発熊本行きに乗る予定で、あと40分もあった。手持ちぶさたに階段をゆっくり、何度も行き来したが、まあどうしてここまで造花の桜を差すのだろう。九州・熊本は、開花が自分のところよりもずっと早いのだった。心待ちにしているようだ。
  ホームの硬い椅子に座って待つ始めると、冷たく寒くて、とたんに足をさすりたくなる。
  ぼうっと独り暗いホーム待っていると、空が確かに、青らみだす。やっぱり日はいずるんだ。光の森駅発の特急列車の回送があり、見送り終ると、後尾の運転台から車掌がずっとこっちを見ていた。

駅名標。

肥後大津・宮地・豊後竹田・大分方面。

  時刻が近付くと駅前も何となく明るくなり、シャッターや戸や自転車などいろいろな物音が響きはじめる。しかし自転車が止まってもこちらに人は来ず、朝帰りが思い浮かんだ。やがて駅にも客が少数やってきて、私たちは熊本行きの気動車に乗った。気動車の振動と古いにおいを感じつつ、またこうして1日がはじまる。私にはこんな古く汚れた列車がお似合いか。この日は朝の時間は三角線へ、その後はまた鹿児島本線に入る。

  8分で熊本に着く。6時21分で、もうすっかり明るい。私はここで5分乗りかえなのを忘れて、跨線橋にて新幹線駅の建設がまだ低く行われている駅裏にこんなところだったのかと見入ってしまい、「4番線三角線まもなく発車します」との放送を聞いて、走った走った。なにせこの列車に乗るために、朝あの時間に起きたのだから。
  目が飛び出さんばかりに後ろの戸口に駆け寄り、戸に手をかけ、うつろになりながら着席して、一休止置いたのち、運転士の肉声で「まもなく発車します」とあり、戸は閉じ、発車した。

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