畝傍駅  - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -

(桜井線・うねび) 2007年4月

  香久山駅を過ぎ、ついにあの有名な畝傍駅に到着。 島式ホームに降り立ったが、古めかしいものはなく、 さっぱりしたホームになっていた。 駅舎のあの時代性はホームに波及していないらしい。
  降り立った島式ホームでは、 2番線の電照式案内板だけ出ていて、3番線のは出てなかった。 揃っていたのをもがれたかのように佇む2番線表示が、 がらんどうのホームの風通しをよくしているように思えた。 この駅も人影がない。

  3番線を覗き込むとすでにレールは剥がされていて、 2面3線の造りの駅ではよくあることだ、と思ったが、 桜井線のほかの同様の駅とここが違っていたのは、 廃止されたこののりばの縁にフェンスや柵をしていない、ということだった。 見上げると電化までされていて、驚いた。 レールをはがしたときに電化設備をはずさなかったらしい。 少なくとも電化されたときまではレールがあり、 使われていたか使われる予定があったようだ。

  ところで桜井線が電化されるずっと前、 この3番線には近鉄小房 (おうさ) 線の列車も発着していたという。 近鉄小房線はここから小房駅を経て、今の近鉄橿原線に合流していた短い路線で、 1945年に旅客営業を休止したのち、1952年に廃止されている。
  今、緑の草々の茂る3番線は、青いゴミ箱や粗大ゴミが捨てられる一方、 桜の挿し木などがされたりして近隣住民が都合のいいように利用しているようである。

島式ホームの風景。 跨線橋の階段から島式ホームを見通して。

ホームの両脇に延々と上屋の柱が並ぶ風景。 長々とホームが続く。

焦げ茶の石積みのホームと駅名標。 向かいの1番線ホームの駅名標。

向かいのホームの上屋を跨線橋からの階段が斜めに貫いている。 2番線から高田方向を見て。

石積みのホームと駅舎への入口を線路越しに見て。 2番線から見た駅舎出入口。

緑の茂る路盤。上空には片持ち架線。 廃止された3番線の風景。

簡易な鉄骨造りの跨線橋内部。 跨線橋に上って。

ホームと駅舎への二つの階段下り口。 1番線から見た駅舎への階段。

左に1番線の上屋、右に線路内。奥に跨線橋。 1番線から桜井方向に駅構内を見渡して。

上屋から吊られる電照式駅名標。 跨線橋の階段下り口付近の駅名標。

左から、上屋のないホーム、線路内、上屋のある島式ホーム。 跨線橋を過ぎて。1番線から桜井方面を望む。

大きな上屋に覆われた1番線ホーム。 階段付近から見た1番線ホームの風景。 皇族もここを歩いたはず。

  無骨な跨線橋を渡って1番線に下りると、 やはりそこには威厳が残っていた。 まずホームの幅が広いし、そして駅舎への下り階段の前に、 「出口」と表示された大きな案内板が掲げられている。 駅の出口は考えればどこかわかるものなのに、 中から電気で照らす大きな案内板をわざわざ出しているところに、 どこか鉄道旅客としての優越を感じられそうだ。 しかし、この大掛かりな掲出には、 緊急時の非常口案内としての役目もあるのだろう。
  1人の少年が駅舎からの階段を軽やかに駆け上って1番線ホームへやって来た。 かなりの悪態の少年だった。どうもさっき行った列車に乗る予定だったようだ。 次の列車は1時間後、たぶん帰るだろうと思っていたら、 こちらをちらっと見たあと、ホームの椅子で寝そべりはじめた。 寝るのか、と驚いている間もなく、動かなくなった。 なんとものんびりしたものだ。
  駅舎への下り階段は3本もあった。 1本は貴賓室利用者用で、下りると貴賓室の入口の前に来るようになっている。 もう1本は一般用で、下りるとすぐ改札口だ。 残りの1本は荷物運搬用の通路につながっている。 貴賓室は皇族のために作られたもので、現在は封鎖されているが、 ときたま公開されているらしい。
  近鉄が橿原神宮のすぐ近くに駅を作るまでは、 橿原神宮を参拝するのにここがよく使われ、皇族の利用もあったため、 貴賓室が設けられ、駅設備もこだわったものとなったのであった。

ホームから駅舎への下り口。すでに駅舎の木造のいい色合いが垣間見えている。 「出口」との案内がでかでかと掲げられている。

駅舎へ向かう下り階段。 駅舎に吸い込まれていくようだ。

階段からは駅舎の中の左半分が見えている。 純木造の屋根の下を歩き下りて。

真新しい感じのスロープ。 スロープがしっかり整備されていた。

純木造の回廊の下にて。 改札口前。

  改札口への階段を下りていくと、 階段を覆っている木作りの大屋根が一気に迫ってきた。 木の自然な色合いと風合いがとてもよかった。 それにしてもどこからか漂うこの優雅な雰囲気はなんだろうかと思っていると、 階段の手すりが純木製。ステンレスのパイプではない、 こうした木造りの手すりには、目を見開かされた。 ためしにさわって少し揺らしてみたところ、思いのほかがっしりしていた。 しかし手すりといっても、これは飾り柵のようなものだから、 階段右端に新設されたスロープの両脇には、鉄パイプの白い柵が取り付けてあった。

  階段を下りきると回廊で、回廊の柱も屋根ももちろん純木造だった。 石を打った床が美しく、脇には植え込みもなされて、気品があり、格調さえあった。 しかしこれらの風雅が必要とされる機会もなくなり、 特別手入れされているわけではないからか、空気がどこか埃っぽかった。
  回廊に沿う駅舎の壁は木と漆喰で作られていて、本物だが、 かつて窓があったところは白いボードで塞がれていた。 無人駅化の処置だが、一応はデザインを考えてなされたようだ。

回廊と、回廊に下りてくるホームからの階段。 貴賓室入口付近から改札口方向を眺めて。

回廊からの階段を斜めに俯瞰して。両脇に緑の植え込みが見られる。 貴賓室への下り階段。手すりも木造り。

階段は、幅の広い石段になっている。 幅の広い階段の角が丸くなっていた。 この駅に流れた年月を感じさせる。

駅舎の漆喰と木の壁と、階段の木製の手すりと緑の植え込み。 貴賓室への階段中ほどから、改札口を見て。

恐ろしい姿の猫。 回廊には猫が佇んでいた。

日向と日陰の静かな回廊。左手に植え込み。 改札口から回廊を貴賓室方向に眺めて。

回廊の端は広いスペースになっていて、大屋根がついている。 荷物取り扱いスペースだろうか。 中ほどに改札口。

木の色で埋め尽くされる、改札口。改札機器が林立している。 改札口。無人駅。

白地に黒と赤い字で書いた、大きなプレート。 有人改札窓口には 「お願い 人の心を傷つける差別落書きをなくしましょう 王寺鉄道部長」 との啓発プレートが掲げてあった。

券売機の下のほうに貼られた張り紙。 券売機に細工してつり銭を詐取する行為が発生しているとのこと。

木造の天井、壁、石の床。 駅舎内の風景。

駅舎側から見ると、改札口の向こうにホームへの上り階段がすぐ見て取れる。 駅舎内から見た改札口。

石の床、白い壁、木の柱。 旧出札口を背にして。

駅舎の片隅にボックスのような施設が付随している。後付ではなく、初めから設計されたものらしい。 駅舎内の一角。荷物受取所だろうか。

木枠のガラス窓。 まだ残る木枠の窓ガラス。ガラスがいくつか外れていた。 しかし外側からベニヤ板が当てて補修されていた。

  駅舎内はどんなだろうか、と期待を寄せながら足を踏み入れたが、 とたんに、差別落書きをやめるよう啓発した古くさいホーローが目に飛び込んできて、 陋習残る旧都の辺鄙な駅かと思った。 そして駅舎内にはもう、回廊にあったあの緊張感はなかった。 標準的な造りで、片方に旧出札口、片方が待合所。 ここは皇族ではなく庶民の利用するところだった。 しかし広さや、なによりも天井の高さを考えると、 当時のほかの駅に比べて造りは十分立派だと言えそうだ。
  もちろん出札口は塞がれ、 おまけに広い待合室には一脚も椅子が置かれなくなっていて、 もうここに何人もの駅員が勤務することも、 ここを橿原神宮への大勢の参拝客が利用することも、考えられそうになかった。 石を張った広い床には、ぽつんと紙コップの自動販売機が置かれ、 その横にはハンバーガー店のごみが捨て置かれ… そういったものを取り込みながらも、 駅舎は過去にかたどられた国威を静かに残し、 昼過ぎでも冷たい春の空気を含みながら佇んでいた。 石床にその空気がしいんとしみ込んでいる。 ひと気を吸い込むこともなくなった柱がさびしげなぐらい時は流れており、 もはや皇族以外のすべてが、ここに入れるかという問いは考えにくかった。

  無人駅だから、改札口には改札機器が並んでいる。 しかしこのときはJスルーカード改札機が故障しており、 故障と書かれた貼り紙をめくってみると、 MS-DOSの画面がエラーをいくつも返していた。
  私と同じ列車で下車したおじいさんが、ゆっくりと駅舎にやってきた。 いつもJスルーカードを利用しているらしく、 何も見ずいつものようにカードを挿し込んだ。 しかし何の反応もないとわかると、急に慌てはじめて、 カードを改札機の画面に押し付けたり、 しまいにはICカード(ICOCA)改札機にかざしてみたりした。もちろん何も起こらない。 結局その人は、自分には非がないという風に帰って行った。私がいたからであった。
  故障といえば、柳本で券売機が故障していたばかりである。 後日この人が気持ちよく精算してもらえるよう願った。

  駅舎から外に出ると、軒下にはおびただしい数の自転車がずらりと並んだ。 向こうの方に荷物搬入所の大掛かりな軒屋根があるのだが、 そこにまでびっしり並んでいる。 駐輪所がないようだが、これはこれで無料だから、助かったりもする。 埋め尽くされた自転車に活力を感じた。 明治の駅舎も新しい使われ方をされていて、逞しかった。
  駅前のスペースはすべて市営の月ぎめ駐車場に充てられていた。 数多くの自動車が駐車し、駅の外観としては、何もないと思えた。 駅前広場の出口付近には、曲線を描いた上品な石造りの段があり、 かつてはそこから人々が車に乗り込んだようだが、 現在は石段を上り詰めたところもアスファルトが敷かれ、駐車スペースになっていた。 時代に合わなくなった駅を、使えるだけ使っている、といったところだろうか。 もう現代の利用に合うように思い切って変えていった方がいいと思えた。
  駅から離れると、ようやく駅舎の姿を捉えることができた。 多少の複雑さを含みながら、古風な瓦屋根が横に長く続くはっきりとした木造建築だったが、 これといって特徴がなく、意外に思った。昔はもっと目立っていたのかもしれない。 しかし、しばらくして、この駅の中心舞台は おそらく貴賓室入口前を通るあの回廊だろうと悟った。
  貴賓室は、と見に行くと、木造の豪勢な開き戸でがっちり閉じられており、 すぐ前に一般の自動車が駐められてあった。

小さな間口。 駅舎出入口。

二列にびしっと並ぶ自転車。 表回廊にはたくさんの自転車がとめてあった。

張り紙。 「この場所は十月一日から駐輪禁止とします。ご協力お願いします。王寺鉄道部長」 このときは4月だった。

アスファルトの広い敷地。向こうに道路を挟んで低い家屋。 駅舎から出て。

駐車場の向こうに、新しい大通り。 駅へ向かって来る県道206号。 進むにつれて大通りになっていくようだ。

表回廊と自転車の並び。 駅舎前の風景その1。

自転車の並びと白漆喰の壁。 駅舎前の風景その2。

瓦屋根と軒屋根の大きな駅舎。 畝傍駅駅舎。

瓦屋根と白漆喰とも木柱の建物。こちらに流れてくる屋根には、こちらに向かって妻型の屋根が小さく突き出ている。 駅舎向かって右手に付随する貴賓室の建物。

木作りの大掛かりな両開き扉。 貴賓室出入口。このすぐ前には自動車が駐車。

中央に敷地を空けて、両脇に自動車が停まっている。 畝傍駅前市営駐車場。

ぼろぼろに崩れた民家。 背後には瓦屋根の崩れ落ちた廃屋があった。

左手に草茂る盛り土、右手に里道。 廃屋を通り過ぎ、左手に線路をとって。 金橋・高田方面を望む。

石柱、遠くに駅舎全景。 駅前の駐車場脇に橿原神宮と彫られた石柱があった。 大正4年4月に建てたとのこと。 近くに鳥居がありそうな雰囲気だが無かった。

追い越し禁止の二車線の道。閑散としている。 駅前を横切る道路の風景。

駐車場と駅舎。 道路から見た駅舎。

駅舎全景を見ると、少し複雑な屋根を持っていることがわかる。 駅舎全景。

駅舎正面遠景。軒屋根の下に自転車が多くとまっているのが見える。駅前は雑多な様相。 駅舎正面の風景。

石段、少し遠くに駅舎。 駅前広場の隅には石造りの段のある乗り場があった。

石段の上は舗装され、四角いポストが立っている。 優美な曲線を描く石造りの段。

左に昔からの手狭な二車線の道。 駅前を右手にして、前の道路を桜井方面に望む。 この道は国道156号。

  畝傍駅前を横切る道路は国道156号だという。 駅前らしい要素はまったくなく、ただ民家の並ぶ手狭な二車線の道を、 自動車がやや頻繁に行き交っているだけだった。 交通量もややあって少し渡りづらかった。
  街の気配を求めて、 駅の正面から左にずれて、まっすぐ伸びる大きな通りを歩くと、 駐車場や空き地を過ぎ、生き生きとした交差点に出た。 橿原市役所東交差点で、向こうからやってくる二桁国道の国道24号にとっては、 この交差点はただの右カーブになるらしい。 ここから先はいよいよ橿原市街に入るようで、街の動きが活発だった。 この先に橿原市の顔となる近鉄大和八木駅があり、 このあたりまで来てようやく、あの立体交差の駅のあるイメージが湧いてきた。
  畝傍駅は市街のはずれにあるといった感じだろうか。 駅舎を振り返ると、古ぼけた寺院のようなものが一部見えているだけだった。

濃い青の小さな旧看板。 背後にあるT字路では、県道206号の指示とともに、 小さい旧看板で奈良への指示が出ていた。

空き地と駐車場の多い新しい通り。 県道206号を歩いて。

大きな青看板。 交差点に出て。左折と直進が国道24号。

活発な交差点。 橿原市役所東交差点。

赤い歩道、二車線の道。 駅を振り返って。

  戻る途中も、来る途中も、空き地で犬が鳴いていた。 さっきもそうだが、人の姿が見えていないのに鳴いていておかしい、 と思い近づいていくと、犬はよろこんだ。どうもさびしかったみたい。 私が離れていくと、また鳴いた。荒れた寺院のような駅舎に着くと、 聞こえなくなった。あの通りはみやこの出口なのだろうか。
  駅前にささやかな酒屋があって、 そこの自動販売機でカルピスウォーターを買った。 それぐらしいか良さそうなのがなかった。空気がよく乾いていた。
  改めて畝傍駅を見ると、近鉄の造る簡素で、やけに合理的な駅とは程遠かった。 歴史の長さや重みがまったく違っている。駅舎の概念が覆っている。 いや、覆したのは私鉄の方なのだろうけど。
  駐車をすり抜けて、個人宅のような木枠の間口をしずしずと跨ぐと、 そこには水を打ったような静謐が待っていた。 ここにほかの駅とは違う時が流れてきたことに、気付かない人はいなさそうだ。 券売機が1台しかなく、椅子もなく、時間帯によっては不便もありそうだが、 ここが簡易駅に建て変わることを想定してみると、 普段の利用者においても、この駅の存在感はきっと大きいものだろう。
  風の抜ける回廊へ再び赴くと、そこにはおそろしく老獪な猫がいた。 灰色の毛並みがひどく、喉を病的に鳴らしていた。 手をさし伸べるとよろこぶかも、と思い少し近づいていったが、 ちっともよろこばず、見るほどにそれは化け猫のようだった。
  そんな中、あのやさぐれた少年はまだホームで寝ている。 列車の時刻が近づいて、駅舎をくぐってくるのが三々五々になっても、 猫と彼はちっとも変わらない。駅舎に積み重なった時間に著しい影響を受けているようだ。 列車が到着し、私は乗り込んだ。ドアは閉じて、出発。しかし進みゆく列車は、 ここになにかしらの跋扈も感じさせずに、駅を車窓にあっけなく流して去っていった。

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